札幌のアートと建築を巡る探検
かつて。街の中心には聖堂がすえられ、秩序の光は祈りの場から発していた。現代といえば、駅に銀行にショッピングモールと、効率よく暮らすことが何よりも優先された配置となっている。だから、ともすれば生産サイクルから振るい落とされてしまいがちな秘めやかな教会や、風土が生んだ美術家、建築家の作品なんかが暮らしの中へ自然に紛れ込む札幌は貴重な街だ。歩くもよし。地下鉄もよし。トラムもよし。疲れたなと足を止めれば、さっそく通り向こうへ「珈琲」の看板が見えた。
Photo: Hitoshi Okamoto, Misato Oka / text: Misato Oka
このページは、雑誌『BRUTUS』2018年11月1日発売号(#881)掲載の中でも、特に反響の大きかった記事をピックアップしています。
お薦めのコインロッカー。
札幌駅に移動するや「お薦めのコインロッカーがあるから荷物を預けちゃいましょう」と含み笑いをする先輩の後を首を傾げてついて行くと、白いすべらかな彫刻がヌッと現れた。
「安田侃の作品脇から降ります」。すると今度は階段下がパッと華やいだ。「星印の北海道道章をデザインした栗谷川健一の壁画です。ロッカーはこの裏ね」。なるほど!広い構内で、このアイコンさえ記憶すればアートファンならずとも迷うことはないだろう。
〈まるたか〉で摩周湖並みにトロンと澄んだ塩ラーメンを啜ったあとは〈札幌聖ミカエル教会〉へ。重厚な道産の煉瓦やトド松で壁や屋根がたくみに築かれる一方、窓に貼られた和紙が直射日光を和らげ、祈りの場にふさわしい静かな光を礼拝堂へ届けている。長椅子に腰かけたら、てきめんに眠たくなってきたから、住宅街を引き返し珈琲ブレイクとなる。中煎り珈琲の甘さと、石壁に反響するジャズが渾然一体となった〈苺館〉の居心地は我々を長尻にするが、まだ北海道大学という怪物級が控えているからうかうかしておれない。
札幌聖ミカエル教会
●北18条
設計はアントニン・レーモンド。ただし個人の奉仕として受けたため事務所の記録にはない。施工とレーモンド事務所との窓口は上遠野徹。完成後、レーモンドに出来栄えを褒められたそうだ。
●札幌市東区北19東3-4-5
平凡なオフィス街から環状門へ踏み込んだ途端140年過去へタイムワープを余儀なくされるのは 〈札幌農学校第2農場〉のお陰だ。クラークが畜産農業を伝える拠り所とした美しいサイロを見れば、札幌軟石が多用されていることに気づく。4万年前、千歳から流れ出た火砕流を切り出したこの肌理細かな建材は、開拓時代の必需品だ。やれ、明治どころか太古の息遣いまで聞こえてくるぞ。ひるがえって〈クラーク会館〉はミッドセンチュリーモダン、〈北海道大学総合博物館〉 はゴシック、〈工学部建築・都市スタジオ棟〉 は21世紀であるし、キャンパス全体が時空と様式を跨いだ建築コレクション・ランウェイではないか。
南のサンクチュアリを訪ね北の遠近感に遊ぶ。
〈さっぽろテレビ塔〉 前で待ち合わせ。東豊線で南下する車窓から町並みを眺め「僕が住んでた頃は三角屋根の家しかなかったけれど、今は平らな屋根が多いよね」と先輩。そしてこれから見学する〈上遠野徹 自邸〉はその極みだ。北の地へモダニズムを根付かせたキーマンは既にこの世を去っているが、建築事務所を継がれた子息・上遠野克さん家族がここを守り、全国から訪れる建築家の卵に勇気と学びを与える、いわばサンクチュアリなのだ。実験精神からビル資材や不良品の煉瓦などが用いられ、またプロポーションは裏から見るとミース、横から見るとイームズ、正面から見るとフィリップ・ジョンソン、室内は桂離宮と「コラージュ」様で、それらがあまりに見事に調和し一切の破綻がない。つい凜とした姿に目も心も奪われてしまうが、肝はあくまで快適さ。「冬が良ければすべて良し」と断熱材を張り巡らせ、全室パイプでつながる石油式床暖房にいち早くトライした。美しくも過酷な北の自然をギフトへと変換した魔法の数々を、克さんからつまびらかに聞く時間は夢心地であった。
〈モエレ沼公園〉 はつい先月訪れたばかりで余韻に浸っている状態だったし、先輩も足繁く通っていることを知っていたから「パスしませんか?」と私は提案したのである。しかしにわかに先輩の顔が曇ったのを察知し、ぐぐっと北上。結果から述べると「先に行きますよ」と去りゆく先輩の背中を見送るのもそこそこに、盛夏とは別人のように成熟した美貌の人工丘〈プレイマウンテン〉を身体一杯感じるのにいそしむがあまり、夕飯の集合店〈茶月斎〉にも遅刻。一体なぜ私はパスしようなどと間抜けなことを言ったのか?
美術館をめぐり歩き札幌のヘソに戻る。
彫刻家のモダンな自邸を、故人の気配さえ残し美術館へ転生させた 〈本郷新記念札幌彫刻美術館〉 は、アートと建築の関係がすこぶるフェアだ。ハンバーガーでいったらパテとバンズの関係というか、作品と箱、どちらが勝るでも劣るでもなく等身大の潔い空間を保っている。じっくり作品を味わえたのもきっとそのせいだ。「街で本郷のブロンズはよく目にしていたけれど、石膏原型を観ると感じ取れるものが飛躍的に増えるね」と感嘆する先輩はフリーペーパー『ART FOR ALL』を刊行している。そのことをふと思い出し、近くの公園で見つけた本郷の可愛らしい「鳥を抱く女」像に案内した。権威や愛好家だけでなく、すべての人に届くアートを。民主主義は町の隅へ健康な美を咲かせるに適った政治形態だとしみじみ思う。
〈北海道立近代美術館〉 のコレクションは、“アイヌ”と“大和民族”のパラレルな関係がもたらす魔術的な側面を誠実にすくい取っていた。
先輩は神田日勝の前でさっきより背筋が伸びている。隣りの〈三岸好太郎美術館〉へ移れば、三岸晩年の快作「海洋を渡る蝶」ばかりか、中野に残る自邸の構想画や、バウハウス出身・山脇巌との交流から生まれた自由なコラージュがあり大収穫だ。
ところで先輩も私も自分のペースで鑑賞することを好み、入館するや蜘蛛の子を散らすように(2匹だが)解散となる。なにかしら発見があれば後から話し合えるし、感動のポイントが異なる人とこそ、連れ立って美術館へ行くのが愉快だと思う。それにしても、朝からアートに集中し続けてフラフラだ。お昼に〈うな明〉で鰻をお腹へ入れておかなければ、共倒れしている頃だろう。
これにて“The Walking Nerds/散歩オタクたち”による探検はいったんお開きとなる。充実を確かめ合い、一人で歩き出してから、しまった! 重大な忘れ物を思い出した。それでイサム・ノグチの〈ブラック・スライド・マントラ〉 を目指し大通公園の中心へ向かう。そこは札幌の臍でもある。マントラ(祈り)と名付けられた巻貝状のすべり台では、今日も市民が飽くことなく昇り降りを繰り返し、そのたび、快楽のトルネードが起きる。私も皆にならって地球の自転と同じ右回りで滑った。そしてこの螺旋が札幌の中心にすえられていることにひどく納得がいった。美の秩序が、またエネルギーが、ぜんまいを巻き上げるように蓄えられるうちは、札幌はきっと安泰だ。
「ブラック・スライド・マントラ」イサム・ノグチ
●大通(西8丁目)
「すべりの禅」とし、繰り返し昇り降りすることで彫刻の意味をお尻から感じろ、とイサムは述べたが、私は人目を気にして1回滑るのがやっと。最後のきついカーブで声を上げた。
探訪者
岡 美里 ●美術作家
東京都墨田区生まれ。各地で展覧会を開きつつ新旧の名建築巡礼も欠かさない。行ってみたい所は英国〈バーバラ・ヘップワース美術館〉。東京文化会館の〈精養軒〉でハンバーグをつまみに前川國男建築に酔いしれる。
岡本 仁 ●編集者、文筆家
北海道夕張市生まれ。最近は旅に出るのが仕事になりつつある。旅先で食事と食事の間にすることといえば名建築と美術鑑賞。博多・西中洲の〈河庄〉で吉村順三建築にうっとりしながら昼酒が飲める身分になりたいなァ。